311に寄せて〜アラフィフ主婦の想い
こんにちは、ギール里映です。
子どもが生まれ変わる食事 vol.1513
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震災から9年、311被災者を偲ぶ
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早いですね、あれから9年が経ちました。
今日は311の記念日ですね。
はやいなあ、9年。
私は実は、1995年の
阪神大震災も、京都でリアルに体験しています。
当時はイギリスに留学中で、
たまたま一時帰国していたときに
被災しました。
といっても京都だったので
そこまで被害は大きくなく、
ただ、大学の友人は神戸や西宮、芦屋に住んでいる子達が多かったので、不安な思いをしました。
あの震災で多くの命が失われ、
大切な人たちが亡くなりました。
若干25歳のころ、
まだ学生だったので
気分は子どもでした。
そして2011年の311、
東北大震災も経験しました。
当時私は妊娠5ヶ月で、
長くてつらい不妊治療を経て、
ようやく身ごもっていた39歳の春。
40を目前に、新しい命を育んだ喜びのなかに、突如現れた震災でした。
マンションの10Fに住んでいたので
家具や家財はかなり壊れましたが
幸い怪我もなく
お腹の子どもも無事でした。
この震災では福島の原発事故で
放射能が大量に漏れ出したことで
東京からがっさりと関西や九州に引っ越す方が続出しました。
私もその後ほどなく
実家の京都に身を寄せるのですが、
しばらくしたらまた東京にもどり
日常に復帰して
7月に出産をしています。
どんな震災があっても
人は、いい意味でも悪い意味でも
そのことを忘れます。
忘れる、という表現が
適切ではないとしたら、
記憶が薄れていく、
時間とともに消化していく
という感じでしょうか。
恐怖や悲しみ、怒りなどの生々しい感情すら、時間とともに脳から消えてしまうようです。
この能力、実は生きていく上でとても大事な能力で、
なぜなら、すべての恐怖や怒りや悲しみを、いつまでもリアルに覚えていては、生きていくのに支障があるからです。
都合よくも、悪くも、私達は忘れてしまいます。忘れる、というよりは、記憶の然るべき場所に、整理されていく、という感じかなあ。
もちろん現地では
いまだリアルに震災の後遺症にて
不便や苦労をしている方、
いまだ大きな悲しみに包まれている方が
いらっしゃるであろうことは
想像にかたくないですが、
どんな辛いことも、人間というのは、
神様からもらった「忘れる」機能があるのです。
こういう災害というのは
いつも前触れがありません。
気をつけようにも
そのときに何に気を付けたらいいのか、
準備するにしても
どんなに食材を備蓄しても、
どんなに震災グッズを買い込んでも、
ものすごい規模の震災がきたら
元も子もないわけで、
人間の無力さというか、自然の威力というか、そういうものをひしひしと感じます。
どれだけ人間が、その浅はかな知識で、
いろんなことを考えるけれども、
いつの時代も、ほんの一瞬で、
自然の大きなチカラの前では無力になります。
だったら、私達は一体
どう生きたらいいのでしょう?
いつくるかもわからない震災や災害に怯えて、いつきてもいいように備蓄したり防災したりしてすごす?
どうせ災害がきたら駄目なんだ、と、
何もせずにあきらめて、
テキトウにやりたい放題で生きる?
どうせがんばっても、
人生は長くて80〜100年だし、
だったらその時間、
どんなふうに過ごそう?
私達は奴隷でもないし、囚われの身でもないので、基本的に自分の人生は自分で選べるようになっています。
日本という民主主義で、
比較的住みやすい国に生まれ育っているのですから。
今、ここに、目の前にあるこの時間を、
今自分の手元にある生命を、
一体、なんのために使うのか。
自分のエゴ、私利私欲、
自分だけがよければと
自分を守ることだけに注力して
周りはどうでもいいとするのか、
それとも
どうせみんな最後には命が尽きるのだから、それだからこそ人の役にたち、誰かのために命を燃やし、感謝や愛情を循環させて生きるのか、
どちらが、いいでしょうか。
どちらでも、良いと思います。
結局は自分の選択ですし、自分の人生なのですから。
ただ、どちらにせよ、
自分の命が尽きるときに、
ああ、私はやりきったな、
何も思い残すことはない、
全力でがんばったな、
と思って、アチラ側の世界に行きたいなあと、私は思っています。
生きている時間は、案外短いです。
特に私はアラフィフなので、あと30年ぐらいしか、ありません。
この限られた時間つかって、
命をどう燃やすのか。
オンナとして、人として、
本気度を問われているなと、
311のこの日に、また改めて気持ちを引き締めました。
人生は、短いよ。
やりたいことを諦めたり、
もじもしして動かなかったり、
また
誰かと陥れようとか
人を蹴落としてやろうとか、
そんなことを考えている時間は
本当にないですよね。
みな平等に与えられている、
1日24時間という時間を、
一体何に使うのか。
ちょっと、見つめ直してみてはどうかなと思います。
311の記録は
こちらにとてもよくまとまっています。
https://news.tv-asahi.co.jp/special/recfrom311/
黙祷
本日もお読みいただき
ありがとうございます!
ギール里映