デブなのに貧血だったギール里映・暗黒の小学生時代|食べトレ誕生秘話パート1
こんにちは、ギール里映です。
「ギールさん、なぜ食べトレを始めたんですか?」とよく聞かれます。
私が食べトレを立ち上げた理由を、連載でお伝えいたします。
目次
「京都初のふぐ割烹の店」の次女として生まれる
私は、京都の、とある料理屋の家に生まれました。
祖父が戦前から始めたお店で
当時は外食文化があまり広まってませんでしたから、とても繁盛したようです。
「京都初のふぐ割烹の店」
として、認知されていたようです。
父が経営していて、
母が女将として働き、
我が家では、夏休みの旅行の思い出も、
家族団らんの思い出も、
あまり、ありません。
料理屋ですから、お休みは週に1度だけ。
その休みも、母は家事やお店の事務作業におわれて忙しく
父は、ゴルフでいない、という・・・
まとまった休みはないので、
旅行にはまったくいけず、
年末年始も、31日までシゴト。
だって、おせちの仕込みと配達があるから。
車の後部座席に乗せられて、お得意様におせちを配って、京都中を走り回ったこと、
いまだによく覚えています。
外から見たら「こどものことをほったらかしにしている家庭」なのに愛情を感じられた理由
仕事で帰宅が遅い母、
いつもいない父、
姉とすごす夕方の時間。
外から見たら、
「こどものことをほったらかしにしている家庭」かも知れません。
宿題も、みてもらった記憶がない。
だけど私は、寂しいとか、
母にかまってほしいとか、
一切、感じたことがありません。
商売人の家は、常に忙しいんです。
お店をきりもりし、お客様の対応をすることは、本当に休みがない。
だけど、毎日少しの時間で
母はたっぷりの愛情を注いでくれました。
料理屋ですから、食べることが何よりも大事、という家です。
毎日の食事は、母が作ることもあれば、
板場さんが作ることもあったり
いろいろではありましたが、
かならずそこには、
食べ物のことを大切にし、
「美味しいものを食べてもらいたい」
という、家族や板場さんの愛がこもってました。
板場さんとは板前さんのことで
通常、若い頃から住み込みで働くので、
私からしたら、「お兄ちゃん」のような存在なのです。
夏休みに、一緒に工作したり、虫取りをしたり、姉とも一緒に、楽しい時間を過ごしました。
楽しい記憶の向こう側には必ず「食べること」があった
その、楽しい記憶の向こう側には
必ず、「食べること」があります。
学校がお休みの日に、
お店のレジに座って、
後ろの調理場をながめながら、
ときおりとんでくる、魚のウロコをつまんでは捨てたり。(魚をおろしてたんですね)
天ぷらが揚がるときの、油の音が変わるのが面白くて、ずっと聞き入っていたり、
にゅるにゅると動き回るうなぎをあざやかに下ろすのを、目をまるくしながら眺めたり。
私の遊び場にはかならず、食にまつわる遊びでいっぱいだったみたいです。
そんな環境で育っているので
美味しいものをたくさん食べて育ちました。
今みたいに、コンビニやチェーンのファストフードもない時代ですから、
常に新鮮な材料で、誰かが作ってくれる、という、そんな状況だったんです。
料理屋の娘なのに健康ではなかった幼少時代
が、しかし。
当時の私は、決して、健康じゃなかったんですよ^^;
極度の貧血をもち、
しかも
肥満・・・・・
太っている自分に、とてもコンプレックスがありました。
(しかも、姉はスリムで美人。いつも比べられて、居心地悪かったんです)
だけども、それが、
毎日食べているものが原因だなんて、
当時の私には、知るよしもありませんでした。
料理屋で、毎日おいしい料理をたべて、
太る、はわかるけど、
それで貧血って、どういうことよ・・・!?
だから、きっとこれは「体質」なんだ、
と思い、
血液検査で貧血がわかっては鉄剤を処方され、
飲んだらいっときは回復するけど
やめたらまたもとに戻る、
という生活を、
小学生のころから、30代まで繰り返していました。
(ながっっっっっ!!!)
だけど、そういう人って、もしかしたら多いんじゃないかって、今なら思います。
体調不良の原因は体質でも遺伝でもなく食事にあった
これは体質なんだ
これは遺伝だからしょうがない
太る家系だから
がん体質の家だから
だから、病気になっても仕方ない
そんなふうに思っている人が、
大半なんじゃないか、って思います。
太っていた小学生時代から、
はや30年以上が経ちました。
いまでは、自分がなぜ太っていて、
なぜ貧血で
それがどうやったら改善するのか、
全部、解明できるようになりました。
30年、かかりました。
だけど、カラダの仕組みがわかれば、
なぜ太るのか、なぜ貧血なのか、
なぜ病気になるのか、
なぜ体調不良になるのか、
すべて、説明がつくことがわかりました。
だけど、30年、長かったなぁ。
もっと早くに知っていれば・・・
と思いますが、
いや、生きているうちに、知れただけでもラッキーだよね、と思っています。
なぜなら、知らないままで一生を終える人が、ほとんどだからです。
うちの父を含めて。
「自分の子どもに食べさせたい食材が、簡単に買えるようにしたい」の想いから自然食品店を立ち上げたものの・・・
その後、私は、
「自分の子どもに食べさせたい食材が、簡単に買えるようにしたい」
と思い、自ら自然食品店を作りました。
しかし・・・。
毎月50万円の赤字を垂れ流すことに。
続きは以下からご覧ください。