夢を追いかけてみたら逃げられた。週3時間で?!
こんにちは、ギール里映です。
子どもが生まれ変わる食事 vol.1237
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自信がなくてもどうにかなる
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代表ギールがなぜ食べトレに至ったのか、
振り返って公開しております^^
(前回までのストーリーは、
一番下にリンクがあります)
今日は、25歳で留学を終えて、
日本に戻ってからのストーリーです。
3年間の留学を終えて、日本に戻りました。
イギリスでの就職も考えていたのですが、
当時は労働ビザを取得するのがとても難しく、
正規の社員として就職できないと、もちろん申請すらできない、
就職するには、「経験」と「実績」が必要で、それは新卒の私には、まったくないものでした。
今みたいに、ワーホリもありませんでしたし、アプレンティス制度みたいな、フレキシブルなビザも、いまほどなかったと記憶しています。
いくつか、日系の会社に履歴書をおくり、面接などうけてみましたが、全くだめで
まあ、当初の予定通り、日本に帰国したわけです。
25歳。
まずは社会経験をつけよう、そのために就職しようと、京都のとある人材派遣会社に就職しました。
「経験をつむぞ!学ぶぞ!そのためにはなんでもするぞ!」
と意気込んでいたので、どんな仕事でも、全部やりました。
断ったことはありませんし、むしろ人が嫌がることもすべて、なんでもやってきました。
すると、ですよ・・・
同い年の、だけど先輩の女性がいて、
その人が、
いぢめるわけですよ・・・
かなり、陰湿に。
少し数字を間違っただけで、ねちねちねちねち。
席を離れたら、デスクの中を引っ掻き回されたり。
適当なことを上司に告げ口したり。
あとからわかったことですが、
彼女は、私が社長に気に入られていたことが、気に食わなかったようです。
それまでは自分が、可愛がられていた存在だったので^^;
就職した会社は小さい会社だったので、
同期はいません。
先輩も、「なにもめんどうなことには関与しない」という姿勢だったので、誰にも相談することもできず・・・
ただ、どうやら私、仕事はできたみたいなので、社長やら、部長やらには、やたらめったら好かれるわけです。
彼女を差し置いて、私を営業に同行させようとしたり、
なにかと、えこひいきが発生し、
そうなると、いじめもエスカレート。
なんだか、いろんなことにうんざりして、
その会社は1年で辞めました。
手取りのお給料18万円ぐらいでした。
実家住まいだったし、お金も全然つかわなかったので、18万円でもだいぶ貯金できました。
その貯金、使い果たして買ったものは
カメラ
と
写真の講座!
やっぱり、ロンドンで学んだ写真を捨てることはできず、大阪で見つけた写真学校に通い始め、そっちの世界で行きていこうと決めたのでした。
写真の学校はとても楽しく、
暗室に入って現像したり、
プリント作ったり、
特にモノクロの、いわゆる銀塩の写真に魅せられていたので、
一眼レフを買って、本格的に学び始めました。
当時は、デジカメ、なかった 笑
撮影して、現像して、プリントして・・・
という地味で地道なことをずーっと繰り返しておりました。
とても楽しかった。
だけど、気づいてしまったんですよ。
最悪なことに。
それは・・・・
私には、写真を制作する才能がない、ということに。
作っても作っても、なにかいつもしっくりこなくて、現像やプリントのスキルもあがらない。
周りの同期は、どんどんうまくなって、
才能が開花していく。
私はなんだかいつも落ちこぼれ。
この図式、どこかで体験したことあるかも、と思ったら、これ、大学時代のラクロス部での感覚に、とってもよく似ている!!!
一生懸命やってるのに、なかなか上達しない焦燥感、というか、劣等感、というか。
「やっぱり、私は、だめなのか・・・」
と落ち込んでいた矢先、
「うちで、働いてみませんか。
図書館のニュースレターを作ってくれませんか」
というオファーを、その写真学校から頂いたのです。
写真の腕はないけど、文章かけたり、仕事がはやかったことを買っていただいたのでしょう、
その学校が運営している図書館の会員さん向けのニュースレターを、
企画、取材、執筆、撮影、はもちろん
DTP、デザイン、レイアウトにいたるまで
すべて、任されてしまったのです。
この時点で、聡明な読者さんはお気づきかもしれませんが、私、ニュースレターを作った経験なんて、ありません。
デザインも、美大にいっていたわけでもないので、学んだことがない。
フォトショも
イラレも
クオークも(当時のDTPソフト)
全くできないんですってば^^;
普通、それだけできなかったら、
断るでしょ、そんな仕事のオファー。
だけど当時の私には、断るという選択肢は、全くなかったのです。
こういう条件がないことが
断る理由ではなかった、というか、
それよりも、何よりも、
大好きな写真の世界で、
写真に関する記事を企画し、
取材し、執筆する、なんていう
楽しそうな仕事を、
どうしてもやりたかったんだと思います。
それからものすごい修行の日が始まりました。
睡眠時間、週に3時間、という日が続きました。
↑↑↑
週に3時間、ですよ
日に3時間、ではなく。
つまり、ほとんど毎日徹夜ってことです。
それでも、若かったし、体力もあったし、
何よりもやりたいことだったし、全く苦にならなかった。
すんごく、楽しかった。
このときに培ったスキルや
基礎体力は、
今後の人生において、大きなチカラになったことは、言うまでもありません。
チャンスは、目の前にあるときに掴むもの。
もしこれ、私、
「パソコンできないしな・・・」
「文章かけないしな・・・」
「経験ないしな・・・」
という、自分の条件ばかりにとらわれて、この仕事のオファーを断っていたら、
大阪でトップのグラフィックデザイナーさんのところでデザインの修行をさせてもらうこともなかったでしょうし、
誰よりも動いて、働いて、
そこから人の信頼を得ることを
学ぶことができなかった。
できないのに、「やる」と決めた
自分を褒めてあげたいです。
チャンスは、実は目の前にあって、
それを掴むのも、
見過ごすもの、
すべて、自分次第!
そんなことを学んだ、
編集&デザイン時代でした。
こうして、アートの世界、デザインの世界で、大好きな写真に囲まれながら、
週に3時間の睡眠時間だったけど
超!楽しく仕事をしていました。
そしてある日、思い立つわけです。
やっぱり東京に行きたい、と。
アートやデザインの世界、
どうしても、東京が日本の中心です。
見たい展覧会も、
東京ではやるけど、関西にはこない。
東西のアートの差をまざまざと感じて、
「アートの世界で仕事するなら、
東京に行きたいな」
と思い始めたのです。
そのことを親に話しました。
すると・・・
「東京に行くなんて、ゆるさん」
と、父に一蹴されるという・・・
昭和一桁生まれの頑固な父、
「結婚以外の理由で、オンナが家を出ることは許さん」
というスタンスの持ち主で、私の上京を真っ向から反対。
そこで私は、
当時のボーイフレンドに相談し、
予定外の、結婚をすることにしたのでした。
(あれ?イギリス人の夫は
いつでてくるの???)
こうして私は2000年に、
京都から東京に拠点を移したのです。
続く。
本日も、お読みいただき
ありがとうございます。
ギール里映
=ギールのプロフィールストーリー=
さてここ数日、私、代表ギールのプロフィールをご紹介させていただいております。
最初からお読みになりたい方は、
こちらをどうぞ^^
<1>
信念をもって食べトレを伝えている本当の理由~代表ギールってこんな人
https://www.agentmail.jp/archive/mail/661/2005/245814/
<2>
デブなのに貧血だった暗黒の小学生時代
https://www.agentmail.jp/archive/mail/661/2005/246062/
<3>
デブは病気である?!~ダイエット&リバウンドを繰り返す高校時代
https://www.agentmail.jp/archive/mail/661/2005/246304/
<4>
1週間で完売!福岡で食べトレ旋風
(大学、ラクロス部時代)
https://www.agentmail.jp/archive/mail/661/2005/246539/
<5>
人生最大の挫折の先にはバブル崩壊、そして過食
https://www.agentmail.jp/archive/mail/661/2005/246796/
<6>
負け犬人生
https://www.agentmail.jp/archive/mail/661/2005/247171/
<7>
https://www.agentmail.jp/archive/mail/661/2005/247401/
<8>
https://www.agentmail.jp/archive/mail/661/2005/247636/
=協会主催の講座は現在日程調整中です=
*インストラクター養成講座
協会主宰は、夏以降になります。
各インストラクターのページをご確認くださいね。
*食べトレ望診法講座「見えトレ」
次回、東京開催を予定しています。
こちらも詳細を今しばらくお待ちください。