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私が食べトレを伝えている本当の理由〜初めて暴露

こんにちは、ギール里映です。

 

子どもが生まれ変わる食事 vol.1383

 

 

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特別なメルマガです:

内容がヘビーですので、
苦手な方はスルーしてくださいね

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今日は、初めて明かします。
私がなぜ食のチカラを伝えているのかを。

なぜ今までお伝えしていなかったのか。

それは、隠していたとか、そういうことではなくて、
あまりにもインパクトがあったことなので
ココロの整理に時間がかかっていたこともありますし、

これをお伝えすることで、
大切な人の気持ちを傷つけるかもしれないと思う気持ちもあったから。

だけど、ちょっと今日、思うところがありまして
これを私の大切なメルマガ読者さんたちに
お伝えしようと思います。

 

 

まずは、一言。
薫さん、お誕生日おめでとうございます。
54?55歳?になられるのかしら。
ときが経つのは速いもので、
もう、4年の月日が流れました。

 

あなたが、虹の橋を渡ってから。

 

 

どうしても、薫さんが私に教えてくれたことを、忘れたくなくて、記録しておきたくて
今日こうやって、シェアさせて頂くことをお許しください。

 

きっと、優しい薫さんのことですから
「りえちゃん、いいよ♫」
と言って下さるかと思います。

 

出会ったのは、6年ほど前のことだったと思います。
私は当時、アメリカや日本での食の学びを
ほぼ一通り終えていて、
いよいよどうやって人に伝えていこうかと考えているときでした。

 

尊敬する食の師匠のもと、
さらなるコアな学びをしているときに
そこに彼女はいました。

物静かで、私よりも少し年上の、優しい女性でした。

 

仲良くなっていくうちに
実は彼女が、大きな病気を抱えていることを知りました。

 

病名は伏せますが、血液に関わるがんです。

 

出会ったときには、すでにかなりの間、闘病していらっしゃる様子でした。

 

病気ではありましたが、
いつも優しくて、楽しくて、
話すとこちらが元気をもらうような方でした。

 

「食」という、同じものを大切と捉え、一緒に学ぶ仲間ですから、本当に、本当に、仲良くなっていきます。
そうして私たちは、少しずつ仲良くなっていきました。

 

私たちのクラスには、
食の学びを極めて、さあいよいよ伝えていこうというメンバーばかりが集まっていて、

会うといつもたくさんのディスカッションをしたり、話し合ったり、まさに、切磋琢磨できる関係だったと思います。

そういう、素敵な人間関係が、私たちの中でできあがっていたのです。

 

 

そんななか、彼女の病状が悪化します。
土用が来るたびに体調をがくんと崩しては入院し、土用が終わったら退院する、というようなサイクルをしばらく続けていたと思います。

 

 

本人がそのような状態ですから、
いくら食の学びをしていたとしても
自分で作ったりすることも、ままなりません。

 

そこで、仲間の一人が、私たちに提案をしてくれました。

「みんなで、薫さんを応援しよう」と。

 

 

その仲間は、看護師さんです。
医療の知識もあり、また誰よりもよく学び、実践し、人のためにと行動している人でした。

 

 

彼女は薫さんのために、
ほぼ毎日食事を作って、届けていたのです。

 

 

彼女にも、仕事もあります、生活があります。
だけど大切な友のために、料理を作ってそれを病床に運んでいたんですね。

 

 

私たちは、それを「手伝いたい!」と思いました。
しかし、作って持っていくって、結構たいへんなこと。
なんせ、毎日のことですから。

 

だから私たちは交代で、行くことにしたんです。

 

そこで、問題は私でした。
というのも、私には当時、2歳になる息子がいたからです。

 

薫さんが入院する病棟は、
免疫力が低くなってしまった方ばっかりの病棟だったので
子どもを連れて行くことができません。

 

私は、友達のために役に立ちたい、という気持ちがありながらも、
子育てをしている自分がいっぱいいっぱいだったこともあり、
また、料理が苦手だから美味しく作れないかもしれない、
子どもを病棟に連れていっちゃいけないから、誰かに見てもらわなければならない、
というような、諸々の事情が相まって、二つ返事で「やるやる!」って、言えなかったんです。

 

しかも、です。

 

私には当時、大きな悩みがありました。

 

 

それは、

髪の毛が全部抜けてしまう、
円形脱毛症という状態だったからです。

 

一部抜ける、とかじゃなく、
全部抜け落ちたんです。

 

 

それでなくとも、人前にでたくない。
子育てと自分の悩みでいっぱいいっぱいで
人のことをどうこう、という場合ではなかったんです。

 

それでも、やっぱり、なにかをしたいという気持ちがあったので、
薫さんのために食養のレシピを5品ぐらい作り、息子を連れて、病院に向かいました。

 

こっそり、息子を病室に連れていきました。
本当は、駄目なんだけど。

だけど薫さんは息子をみて、
とっても喜んでくれたのです。

「わあ、大きくなったね、かわいいね。りえちゃん、よかったね」って。
彼女は、私が不妊治療をしていたことを話していましたから。

 

その日調子がよかった薫さんと
二人でゆっくり話をしました。

 

「ねえねえ、りえちゃん、ちょっと相談に乗ってほしいんだけど」

薫さんはいいます。

「あのね、退院したら、私、玄米を炊くレッスンをしようと思うんだけど、どうしたらいいと思う?」
と。

正直、びっくりしました。
自分の命が、もうどのぐらいあるのかもどうか分からないというのに、
自分のことよりも、人に玄米のチカラを伝えたい、そんな風に考えていらっしゃったからです。

それから二人で、あーでもない、こーでもないと、
どうやったら玄米教室が開けるのかを、いろいろ話し合いました。

私も、この頃は、ビジネスのビの字も知りません。
だから、チラシつくったらいいんじゃないか、とか、住宅街で見えにくいから、看板もつくろう、とか、
そういうことを、たくさん話したんです。

 

しばらくしたら看護師さんが来て、
「すみません、お子さんは立ち入り禁止なんです」
と言われてしまったので、その場をさりました。

そうだよね、私が不用意に子どもを連れてきたことで、なにか大変な感染症とかになったら、薫さんは命を落とす。

私は自分のしたことの浅はかさに、自己嫌悪に陥りました。
連れてきちゃいけないのに、息子を連れてきてしまった。
それで息子にも、拒絶されたみたいな嫌な気持ちを味あわせてしまった、と。

 

だけど、この自己嫌悪は、
実はもっともっと深いところにあったんです。

 

私は当時、抜け落ちる髪の毛と戦っていました。

原因が、わからない。
だけどなぜか抜けていく。
正直、自分のことでいっぱいいっぱいだったんです。

 

だけど、です。
薫さんは、自分が明日死ぬかもしれないのに、それでも人のために何かをしようと、真剣に考えている。

 

それに比べて自分は、なんてちっちゃいのだろう。
死ぬかもしれない病に比べたら、自分のハゲなんて、大したことないじゃないか!
たかが髪の毛だぞ、死なんやろう?!?!

 

そう、いまならしっかりと言えますが、
その時私には、言えなかったんです。
ああ、ちっちゃい、自分。

薫さんは、抗癌剤治療を受けていたので
髪の毛がありませんでした。
ウィッグを被っていらっしゃったんですね。
それを見ていた私は、薫さんがうらやましい、とすら思いました。

「抗がん剤で髪の毛が抜けたら、みんな理解してくれるのに、
ただのハゲだと、どうしてこんなに恥ずかしいんだろう。人にも言えないし」

と、いまなら呆れるぐらい自分目線で恥ずかしいんですが、
当時そんな風に思っていたことを、本当によく覚えています。

 

そのあと薫さんは、
その土用はなんとか乗り切って
一旦退院をしました。

 

「はあ、また、乗り切ったね」
と、仲間と胸をなでおろしていたものでした。

 

退院してからしばらくして、薫さんから連絡がきました。
今度家でパーティをしよう、と。
薫さんの家に、みんなで持ち寄って
持ち寄りパーティをしよう、ということになりました。

 

もちろん私たちは、食養を学んでいた仲間ですから、
薫さんが食べられるもの、食べて元気になるものを作って持ち寄りました。

しかし驚いたのは、彼女もたくさんお料理をしてくれていたのです。

その時実は、鍋すら持ち上げられないぐらい体が弱っていました。
だけど、自宅でパーティをひらき、私たちを招き、楽しい時間を作ってくれたんですね。
この日は息子も連れていきました。
彼女が病気なことを忘れるぐらい、楽しい一日だったと記憶しています。

 

そのパーティから、ほどなくして
多分、1ヶ月もたってないと思うのですが、
すみません、記憶が少し曖昧で。

 

「薫さんが、亡くなったよ」

 

と、ブータンに旅行にいっていた仲間から、連絡がありました。
件の、看護師の仲間です。
彼女はブータンにいるときに、訃報を家族から受け取ったとのこと。

 

殆どが携帯の圏外でありながら、
ほんの一瞬電波がつながる奇跡があったときに、その電話を受けたそうです。

 

こうして薫さんは、50年の人生を閉じました。

 

病気と戦い、普通だったらこの病気でそんなに長く生きられない、というところを、食に向き合い、家族に支えられ、とても長い年月を生きられたそうです。
安らかに、眠るように、逝ってしまいました。

 

私は、いま、食べトレをお伝えしていて
いつもいつも、毎日毎日、人に伝えるという仕事をしています。
そのチカラになっているのは、
こういう、食を通じて出会った仲間たちの存在が大きいのです。

 

自分の想像を超える境遇であったり、
人の生きるチカラだったり、

また何より人の器の大きさだったり、

そういうものにたくさんたくさん出会わせて頂き、今の私があります。

 

若干50歳で亡くなった薫さんを、人は「まだ若かったのに、かわいそうにね」と言うかもしれません。
だけど、思うんです。私。
彼女は、ご自身の役割をしっかりと果たされて、つぎの命へ向かったんだな、って。

 

ちっちゃい私を叱責し、命の尊さをまざまざと見せつけて、
私や、あの食養を学んだメンバーたちを駆り立て行動させてくれた。

 

彼女が最後の最後まで、
あきらめることをせず、
真剣に、そして優しく、人と自分に向き合って
大切なメッセージを遺していってくれた。

 

きっと弱音をはくことも、駄目なときも、いろいろあったと思うけど、
そんなことも全てひっくるめて、彼女の存在が、残された私たちに与えた影響は大きい。

 

「死ぬまで、伝えていく」

これは、彼女が私に託してくれたメッセージだと、私は思っています。

食のチカラを知らず、自らを大切にできず、また他人も大切にできず、
自分の志命を見つけられずにこの世の生を終える方が、あとをたちません。

そういう方たちが少しでも、なにか、自分の生きる役割を見つけるきっかけになることができれば。

食という、人の命に密接に関わるものを、本当に大切に考える人達があふれる社会にしたい。

食のチカラを知らず、自らのチカラにも気づけず、ただなんとなく、人生を終えてしまうのではなく、

なにか、少しでも、生きていくことで爪痕を残せる、そんな生き方を私は教えてもらいましたし、

それが、私が、食を通してみなさんに一番伝えたいことなんです。

 

ただ消費したり、浪費したり、
自分のことだけを考えて終わる人生ではなく、

だれか、なにか、自分以外のなにかに
役にたつ存在となる人生を送ってほしい。

そんな価値を、誰もが持って生まれてきているのですから。

 

 

だから、これからも引き続き、
みなさんのことを応援させてくださいね。

 

だって、決めてるんですよ。
死ぬまで伝え続けるって。

 

今日は、とっても長いメルマガに
お付き合いくださり、ありがとうございました。

 

昨日9月22日が、薫さんの誕生日だったので、その日に感謝し、筆を取りました。
(本当はパソコンだけど)

 

 

今日一日が、みなさんにとって
一番輝いている一日になりますように。

 

 

食べトレ代表
ギール里映

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