批判があいついで中止に〜あいちトリエンナーレ
ギール里映です。
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批判が相次ぎ中止?!
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いま話題の、あいちトリエンナーレ。
もともとの職場が現代美術画廊だったので、アートの動向はいつも気になります。
アートって、芸術と言われるけれど、
日本でいう芸術と
西洋文化でいうアートって
けっこう、天と地ほど、理解のされかたに違いがあります。
と、それはさておき。
今年愛知県で行わている
「あいちトリエンナーレ」という芸術祭が、中止になってしまいました。
「表現の不自由展」という展示に
全国から脅迫や批判のメールが電話があいつぎ、来場者の安全を守るためにも、中止という措置がとられました。
美術館に
「大至急撤去しろ。ガソリンの携行缶を持ってお邪魔する」という連絡がきたり、
1日に200件以上の抗議の電話があいつぎ、大村知事が中止を決断されたとのこと。
ニュースはたくさんでてますね、ご参考までに。
中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019080402000069.html
この展示には、
韓国の従軍慰安婦や、憲法9条、
強制連行や福島原発問題など、
いわゆる政治的にも、感情的にもデリケートなテーマで制作された作品が出品されました。
そしてこれらの作品の多くは、
ざっくり言うなら「内容がそぐわない」というような理由で、これまで全国の美術館などで、展示不可となっているものばかり、だといいます。
それを今回思い切って、物議を醸し出すことを前提に、芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介氏は述べています。
つまり、炎上するのは想定内だったけど、
コレを提示することが
ジャーナリストとしての自分の志命だと感じて、今回の企画を作ったとのこと。
このニュースをみて感じたこと。
人は、真実から目をそむけたがる
新しいアイデアや概念にはまず
否定から入る
人はとても暴力的になれる
ということでした。
アート、芸術というのは
美しいものを作って、人を和ませるだけが、仕事ではありません。
日本ではルノアールなどの後期印象派やピカソなどの大御所ばかりがアートだと言われて重宝されますが、
決してアートはその側面だけではありません。
社会の矛盾に一隻を投じたり、
これまでになかった視点で世界を見つめ直したり、
そこから問題提起をしたり、
そんな実社会の、実利、実益の価値観でしかうごいていない現在の西洋文化が主体となった社会のなかで、
ときに小声で、ときに大きな声で、
一石を投じてくれるものです。
津田大介さんは
批判を覚悟で、社会に一石を投じてくださったと思います。
また、基本的には言論の自由があり、人権は憲法によって保証されているものではありますが、
実際の世界では
自由に発現できている人はいませんし、人の人権なんてあっという間に踏みにじられていく。
私達も、起業やインストラクター業という仕事や立場を通して、世の中に発信していますよね^^
たとえ無料のSNSであろうと、メルマガであろうと、
誰かに向けて情報を発信しているということについては、やっぱり表現者の端くれだと思うわけです。
炎上や批判を恐れていては、
本当に大切なメッセージは伝わりません。
また、炎上や批判がくればくるほど
その逆にファンになる人も増えるんですよね。不思議ですけど。
人から嫌われないように、
人から批判されないように、
やんわり柔らかいことや、
調子のいいことばかりを言っていたら、
それはむしろキライな人を作ってしまうどころか、誰からも興味をもってもらえない。
時には優しく、時には毒を吐いて、
素直な自分を開示していくこと。
発信するなら、必須ですね。
今日もお読みいただき
ありがとうございます。
ギール里映